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ルネサンスのセレブたち

1年以上
san giovanni battista
1505年からレオナルドが描いたといわれる『洗礼者聖ヨハネ』。右手の親指と中指で十字架をもち、人差し指は天を向いています。ニスと黒い背景に埋もれようとしている聖ヨハネを救おうと、修復が決定しました。



美術ニュースからです。

ルーヴル美術館が所蔵しているレオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ヨハネ』の修復が決定しました。
右手の指に十字架を持つ豊かな巻き毛が特徴の『聖ヨハネ』は、黒い背景に埋没し何度も重ねられてきたニスによって本来の線の判別が難しくなってきました。
ルーヴル美術館は、作品のオリジナルの姿を保つために修復を決定したと発表しています。

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1年以上
sicut-dudum
代々の法王たちは奴隷禁止令を発布していますが、これが法王庁初の奴隷禁止令『Sicut Dudum』。1435年に、ヴェネツィア出身の法王エウジェニオ四世によってカナリア半島の司教に送られています。



581年前の今日1月13日、法王エウジェニオ四世 ( 日本ではエウゲニウス四世として知られています。ラテン語名は Eugenius ) は法王庁初の「奴隷禁止令」を発布しました。
この法令は、1430年以降、スペイン人が植民地としたカナリア諸島の原住民たちの奴隷化が目に余るものであったため、カナリア半島の司教であった Fernando de Lanzarote に送られたものです。

『Sicut Dudum』 と名づけられた法王教書によれば、

原住民を奴隷とした者は即刻破門にする。
この法王教書が到着後、15日以内にこれまでに奴隷となった人々も解放されなくてはならない。その際には金銭的応酬は一切してはならない。
奴隷から解放された人々の自由は、完全に永遠に尊重されなくてはならない。 ( ac totaliter liberos perpetuo esse )

とあり、毅然さをもって法王はスペイン人に命じたのでした。
ところがこの法王教書はまったく無視されて、後任の法王たち、ピオ二世やシスト四世も奴隷禁止令を発布していますがまったく効力はなかったようです。
動物のように扱われるスペインの植民地の原住民たちに対して、「彼らも人間である」と法王教書に記したのはパオロ三世でした。

スペイン人は特に信仰が篤い人々といわれますが、この奴隷に関する法王教書にまったく従わなかったあたり、植民地で甘い汁を吸っていた人々の存在がスペインの社会の中でも大きかったことがわかります。

ところで、代々の法王たちに先んじてこの「奴隷解放令」を発布したエウジェニオ四世ですが、ヴェネツィアの裕福な中産階級コンドゥルメル家の出身でした。俗名をガブリエーレ・コンドゥルメル ( Gabriele Condulmer ) といいます。1383年生まれ。
コンドゥルメル家は貴族ではなかったものの、代々商業の才のある当主が続き膨大な財産を所有していました。
そのため、ガブリエーレの父アンジェロ・コンドゥルメル ( Angelo Condulmer ) はヴェネツィアの名門貴族コッレール家 ( Correr ) のバリオーラ ( Bariola Correr ) を妻に迎えました。
このバリオーラの兄、アンジェロ・コッレール ( Angelo Correr ) が1406年にグレゴリオ十二世の名で法王となったため、甥であったガブリエーレの聖職界での出世も順調でした。ちなみに母方の従兄弟アントニオ ( Antonio Correr ) も聖職者で、後に枢機卿となっています。

ガブリエーレ・コンドゥルメルは48歳で法王に選ばれ、エウジェニオ四世となります。
しかし、前任者マルティーノ五世の実家であったローマの名門コロンナ家とエウジェニオ四世は折り合いが悪く、法王就任から3年後の1434年にフィレンツェに亡命。エウジェニオ四世はおよそ10年間、ローマに戻ることができませんでした。
ゆえに、この奴隷禁止令もフィレンツェから発布されています。

当時の教会軍はないも同然であったので、法王領のフォルリーやサンセポークロは次々に傭兵たちに荒らされて彼らに強奪される有様でした。エウジェニオ四世も傭兵を雇って、防衛に必死になっています。
一方で、エウジェニオ四世は非常に教養のあった人で旅好きでもあったそうです。
ベアート・アンジェリコやジャン・フーケといった画家たちをローマに招聘した美術のパトロンでもあり、ローマ大学の再建を行ったことでも有名。

亡くなったのは1447年2月23日。64歳。
ヴェネツィアでおそらく豊かな幼少期と青春期を送ったであろうこの法王が、どんな思いでローマで亡くなったのだろうと思うとつらいですね。


今日から夫はパリに出張。
いつもの私なら「亭主元気で留守がいい」のくちですが、パリと聞くとちょっと不安です。












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1年以上
fraschetta
ワインが入った容器とそれを包むわらのカバー。2世紀から4世紀製作と推定されるモザイクより。 ( Tunis, Bardo National Museum )


年末年始は外食が増えます。
普段は粗食の我家、外食が増えると胃は重くも垂れますが、同時に膨張もするらしく、冬休みが終わったここ数日も食欲は一向におさまらない。

というわけで、話題も外食にしました。
本棚を眺めていたら、いつ買ったとも思い出せない「古代ローマの食事情 ( Ars Culinaria ) 」という本が見つかりました。言語学者のアントニエッタ・ドージ ( Antonietta Dosi ) 女史と考古学者のジュゼッピーナ・ピサーニ・サルトーリオ ( Giuseppina Pisani Sartorio ) 女史の共著です。

例によって私の読み方はずぼらです。
古代ローマ時代にも食堂はあったようで、外食を楽しみ人たちもいました。
が、それは非常に限られた人々であったそうです。

なぜでしょう。

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1年以上
BoschCureofFolly
今年2016年はヒエロニムス・ボスの500年忌。それを記念して彼の生まれ故郷で大々的な美術展が開催されます。以前に記事にした『狂気の石の除去』もプラド美術館から出展予定。


やれやれ、やっと冬の休暇が終わりました。
姑の家に滞在したりミラノに旅行したり友人の家に泊まったり、やたらに外泊が多かったこの冬休み。
お正月からこの方、ローマは雨が降っているので洗濯物の山を前にため息の本日です。
昨日のべファーナの祭日は、夫が姑と喧嘩ばかり。そこにタイミングよく大学時代の友人から電話が入り、友達の家に集合することになりました。3カップルに、娘ばっかり6人です。
冬の休暇が終わるのを惜しむように、みんなでゲームをして騒いできました。
私はゲームというのはまったく弱くて、親子三人で神経衰弱をしてもいつも最下位。大晦日に、別の友人の家で遊んだ「魔法の迷宮 ( Labirinto magico ) 」もどん尻。
ところが昨日初めて手にした「Dixit」というゲームには、一人バカ勝ちしました。このゲーム、理論よりも直感に頼ればいいので、いい加減な私でも勝てる可能性があるんですね。

そして今日から平常ペース。
娘を幼稚園に送っていった帰りに寄った新聞スタンドには、新しい歴史雑誌が並んでいました。
その冒頭の短い記事を訳します。

今年はフランドルの画家ヒエロニムス・ボス ( Hieronymus Bosch ) の500年忌だそうです。
亡くなったのは1516年8月9日。62歳の死でした。
彼はオランダ南部スヘルトーヘンボス ( s- Hertogenbosch ) という街の出身で、亡くなったのもこの街。
そして、本名をヒエロニムス・ファン・アーケン ( Hieronymus van Aken ) といった彼が、ボス ( Bosch ) という通称で呼ばれるようになったのも生まれ故郷の名前から由来しています。

というわけで、スヘルトーヘンボスの街ではなんと2007年からこの500年忌の記念展の準備をしてきたのだそうです。
雑誌でも大々的に「ヒエロニムスの年」とうたわれています。

それでは記事をどうぞ。


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1年以上
Leonardo_da_Vinci_-_The_Last_Supper_high_res
レオナルドの代表作『最後の晩餐』。



年末、ミラノに行ってきました。
夫はしじゅうミラノに出張しているし、私もブログを書いているとミラノは身近に感じます。
しかし考えてみると、ミラノに行ったのはまだ学生のころでした。
見たのはドゥオモとレオナルドの「最後の晩餐」がある教会だけ。それも、「最後の晩餐」は当日急に見学不可能となって見ないまま終わりました。
今回のミラノ旅行の目的は「ジョットー展」でした。
12月のクリスマス休暇には連れて行くから、と夫は行っていたのですが、寸前になってミラノの大気汚染の問題で市内への車の乗り入れが禁止されていることに気がついて、即飛行機旅行に切り替えました。
ぎりぎりに購入したアリタリアのチケット、非常に安価だったのですが、預け荷物には別料金が加算されます。
というわけで、ふたりでリュックを背負い、気分だけは若者に戻って行ってきたのです。
しかし体はだませません。
旅行から帰った日は、夫婦で「年をとったもんだ」とぼやいたくらいでした。
バックパッカーですから、泊まったホテルが街のど真ん中にあってもお買い物は無縁で、ただひたすら美術を見てきました。
ブレラ美術館では大好きなクリヴェッリを見てそれだけでも満足。
ジョットー展は、作品は十数点でしたけど、彼の繊細な筆遣いをじっくり堪能してこちらも満足。
月曜日はあらゆる美術館が閉館だったので、急遽見に行った「ラッファエッロからシーレ展」でも、世界史の教科書に登場するようなビッグネームの作品をこれでもかこれでもかと堪能して大満足。とくに、ブタペスト美術館が所蔵していたブロンズィーノの作品にボーっとなってしまいました。さまざまな年代の画家たちの作品を一挙に見るのは私はあまり好きではないのですが、この美術展は非常に面白かったです。

夫は、だいぶ前に今回展示されていた「ステファネスキの祭壇画」の調査に加わっていたのですが、年末の超多忙ゆえ、ジョットー展で再びその作品に再会しても「全然思い出せない」と言っていました。
2015年の年末は、EUがさまざまな実験に出資をするプロジェクトの最終年の最終月で、予算を使い切らないといけない大学の研究所から電話がひきもきらず、夫はイタリアを縦横無尽に走り回っていました。見せてくれたパンフレットによれば、「宇宙でもっとも低い温度を作り出す機械」だそうで、「これ、ほんとにいいよな~」と夫がつぶやいても、私にはタダの無粋な機械でしかありません。美術や古文書館系の仕事が多かった2015年でこぼれ話にありつける私にはありがたい年でしたが、夫の師走は物理学科の研究室めぐりで終わりました。

そんなことはともかく、久々にミラノの空気を吸った私はなぜかレオナルドについて読みたくなりました。
レオナルドがお好きな人や研究者のかたがたにとっては、当たり前の話で「いまさらブログになんか書くな」と言われそうですが、私には非常にに面白い内容だったのでお叱りは承知で書いてみようと思います。

レオナルドについては、もろもろの仮説、小説、ミステリー、など、読みきれないほどさまざまな書籍が出ておりますが、私は最近暇があれば手に取るダヴェーリオ氏の『最後の晩餐』に関する章を読みました。
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ルネサンスのセレブたち

作者:cucciola

ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

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