Welcome!

ルネサンスのセレブたち

1年以上

IMG_9970
雪を眺めながら糸をつむぐ尼僧。男性の修道会に比べて陰が薄い女子修道会ですが、彼女たちも立派に社会の一翼を担っていました。15世紀のフランチェスコ派女子修道会の祈祷書より。推定ではサーノ・ディ・ピエトロ ( Sano di Pietro ) のミニアチュール。 ( Siena, Biblioteca Comunale degli Intronati )



久々の更新になりました。
雑事に追われて、ブログの更新はおろか本や記事を読む時間もとれず、ようやく今日はパソコンの前にゆっくり座っております。

3週間もイタリア語を読んでいないと、読解力はガクッと落ちます。
今日の記事は歴史雑誌の最新号からですが、大特集のすべてを訳すのはムリで抜粋になります。

歴史の中で女性が果たしてきた役割についての研究で有名なマリア・パオラ・ザノボーニ ( Maria Paola Zanoboni ) 女史の書籍や記事はこれまでにも何度か訳してきましたが、今回のテーマは「修道院の女性たち」。
さらっと記事を読んだところですと、修道院が歴史や文化において担ってきた役割は大変大きいヨーロッパにおいて、女子修道会もけっしてそれにひけを取ってはいなかったというのがその主旨。
尼僧たちの修道院では、世俗の社会の世相に合わせて毛織物や刺繍に従事する女性が多かったとはわれわれもイメージできることです。
実際にはそれに加えて写本業、画業、薬草の生産販売、パスタの生産販売、そしてなんとメガネの生産販売まで行っていたのが尼僧院の実態でした。特にパスタの生産については、女性ならではのユニークな形のパスタを尼僧たちが考案していたことが中世の時代の文献から明らかになっています。そしてパスタ生産を本業にする業者たちから敵視されることもままあったのだとか。
尼僧院に生産を委託する業者にとってのメリットは、彼女たちは終生を修道院で過ごすため結婚や出産による休業がないこと、技術の伝承が修道院内で円滑に進むことなどがあったそうです。

本日話題にするのは、こうした尼僧の中でも画業、特にミニアチュール制作に従事した女性たちについてです。

続きを読む
1年以上
san giovanni battista
1505年からレオナルドが描いたといわれる『洗礼者聖ヨハネ』。右手の親指と中指で十字架をもち、人差し指は天を向いています。ニスと黒い背景に埋もれようとしている聖ヨハネを救おうと、修復が決定しました。



美術ニュースからです。

ルーヴル美術館が所蔵しているレオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ヨハネ』の修復が決定しました。
右手の指に十字架を持つ豊かな巻き毛が特徴の『聖ヨハネ』は、黒い背景に埋没し何度も重ねられてきたニスによって本来の線の判別が難しくなってきました。
ルーヴル美術館は、作品のオリジナルの姿を保つために修復を決定したと発表しています。

続きを読む
1年以上
sicut-dudum
代々の法王たちは奴隷禁止令を発布していますが、これが法王庁初の奴隷禁止令『Sicut Dudum』。1435年に、ヴェネツィア出身の法王エウジェニオ四世によってカナリア半島の司教に送られています。



581年前の今日1月13日、法王エウジェニオ四世 ( 日本ではエウゲニウス四世として知られています。ラテン語名は Eugenius ) は法王庁初の「奴隷禁止令」を発布しました。
この法令は、1430年以降、スペイン人が植民地としたカナリア諸島の原住民たちの奴隷化が目に余るものであったため、カナリア半島の司教であった Fernando de Lanzarote に送られたものです。

『Sicut Dudum』 と名づけられた法王教書によれば、

原住民を奴隷とした者は即刻破門にする。
この法王教書が到着後、15日以内にこれまでに奴隷となった人々も解放されなくてはならない。その際には金銭的応酬は一切してはならない。
奴隷から解放された人々の自由は、完全に永遠に尊重されなくてはならない。 ( ac totaliter liberos perpetuo esse )

とあり、毅然さをもって法王はスペイン人に命じたのでした。
ところがこの法王教書はまったく無視されて、後任の法王たち、ピオ二世やシスト四世も奴隷禁止令を発布していますがまったく効力はなかったようです。
動物のように扱われるスペインの植民地の原住民たちに対して、「彼らも人間である」と法王教書に記したのはパオロ三世でした。

スペイン人は特に信仰が篤い人々といわれますが、この奴隷に関する法王教書にまったく従わなかったあたり、植民地で甘い汁を吸っていた人々の存在がスペインの社会の中でも大きかったことがわかります。

ところで、代々の法王たちに先んじてこの「奴隷解放令」を発布したエウジェニオ四世ですが、ヴェネツィアの裕福な中産階級コンドゥルメル家の出身でした。俗名をガブリエーレ・コンドゥルメル ( Gabriele Condulmer ) といいます。1383年生まれ。
コンドゥルメル家は貴族ではなかったものの、代々商業の才のある当主が続き膨大な財産を所有していました。
そのため、ガブリエーレの父アンジェロ・コンドゥルメル ( Angelo Condulmer ) はヴェネツィアの名門貴族コッレール家 ( Correr ) のバリオーラ ( Bariola Correr ) を妻に迎えました。
このバリオーラの兄、アンジェロ・コッレール ( Angelo Correr ) が1406年にグレゴリオ十二世の名で法王となったため、甥であったガブリエーレの聖職界での出世も順調でした。ちなみに母方の従兄弟アントニオ ( Antonio Correr ) も聖職者で、後に枢機卿となっています。

ガブリエーレ・コンドゥルメルは48歳で法王に選ばれ、エウジェニオ四世となります。
しかし、前任者マルティーノ五世の実家であったローマの名門コロンナ家とエウジェニオ四世は折り合いが悪く、法王就任から3年後の1434年にフィレンツェに亡命。エウジェニオ四世はおよそ10年間、ローマに戻ることができませんでした。
ゆえに、この奴隷禁止令もフィレンツェから発布されています。

当時の教会軍はないも同然であったので、法王領のフォルリーやサンセポークロは次々に傭兵たちに荒らされて彼らに強奪される有様でした。エウジェニオ四世も傭兵を雇って、防衛に必死になっています。
一方で、エウジェニオ四世は非常に教養のあった人で旅好きでもあったそうです。
ベアート・アンジェリコやジャン・フーケといった画家たちをローマに招聘した美術のパトロンでもあり、ローマ大学の再建を行ったことでも有名。

亡くなったのは1447年2月23日。64歳。
ヴェネツィアでおそらく豊かな幼少期と青春期を送ったであろうこの法王が、どんな思いでローマで亡くなったのだろうと思うとつらいですね。


今日から夫はパリに出張。
いつもの私なら「亭主元気で留守がいい」のくちですが、パリと聞くとちょっと不安です。












にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキングへ blogram投票ボタン ジモモ ローマ
1年以上
fraschetta
ワインが入った容器とそれを包むわらのカバー。2世紀から4世紀製作と推定されるモザイクより。 ( Tunis, Bardo National Museum )


年末年始は外食が増えます。
普段は粗食の我家、外食が増えると胃は重くも垂れますが、同時に膨張もするらしく、冬休みが終わったここ数日も食欲は一向におさまらない。

というわけで、話題も外食にしました。
本棚を眺めていたら、いつ買ったとも思い出せない「古代ローマの食事情 ( Ars Culinaria ) 」という本が見つかりました。言語学者のアントニエッタ・ドージ ( Antonietta Dosi ) 女史と考古学者のジュゼッピーナ・ピサーニ・サルトーリオ ( Giuseppina Pisani Sartorio ) 女史の共著です。

例によって私の読み方はずぼらです。
古代ローマ時代にも食堂はあったようで、外食を楽しみ人たちもいました。
が、それは非常に限られた人々であったそうです。

なぜでしょう。

続きを読む
1年以上
BoschCureofFolly
今年2016年はヒエロニムス・ボスの500年忌。それを記念して彼の生まれ故郷で大々的な美術展が開催されます。以前に記事にした『狂気の石の除去』もプラド美術館から出展予定。


やれやれ、やっと冬の休暇が終わりました。
姑の家に滞在したりミラノに旅行したり友人の家に泊まったり、やたらに外泊が多かったこの冬休み。
お正月からこの方、ローマは雨が降っているので洗濯物の山を前にため息の本日です。
昨日のべファーナの祭日は、夫が姑と喧嘩ばかり。そこにタイミングよく大学時代の友人から電話が入り、友達の家に集合することになりました。3カップルに、娘ばっかり6人です。
冬の休暇が終わるのを惜しむように、みんなでゲームをして騒いできました。
私はゲームというのはまったく弱くて、親子三人で神経衰弱をしてもいつも最下位。大晦日に、別の友人の家で遊んだ「魔法の迷宮 ( Labirinto magico ) 」もどん尻。
ところが昨日初めて手にした「Dixit」というゲームには、一人バカ勝ちしました。このゲーム、理論よりも直感に頼ればいいので、いい加減な私でも勝てる可能性があるんですね。

そして今日から平常ペース。
娘を幼稚園に送っていった帰りに寄った新聞スタンドには、新しい歴史雑誌が並んでいました。
その冒頭の短い記事を訳します。

今年はフランドルの画家ヒエロニムス・ボス ( Hieronymus Bosch ) の500年忌だそうです。
亡くなったのは1516年8月9日。62歳の死でした。
彼はオランダ南部スヘルトーヘンボス ( s- Hertogenbosch ) という街の出身で、亡くなったのもこの街。
そして、本名をヒエロニムス・ファン・アーケン ( Hieronymus van Aken ) といった彼が、ボス ( Bosch ) という通称で呼ばれるようになったのも生まれ故郷の名前から由来しています。

というわけで、スヘルトーヘンボスの街ではなんと2007年からこの500年忌の記念展の準備をしてきたのだそうです。
雑誌でも大々的に「ヒエロニムスの年」とうたわれています。

それでは記事をどうぞ。


続きを読む

ルネサンスのセレブたち

作者:cucciola

ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

7日 36 総合 635 いいね

↑投票してね!

人気投票ボタン配置はこちらから



cucciolaさん新着記事



過去記事

cucciolaさんへの新着コメント




ローマブログ・Facebookページ人気ランキング

1位 ようこそ、Waytostay Japanへ!
2位 artevitaのブログ
3位 イタリアに恋して・・・
4位 R o m a ~ 世界遺産の街・ローマ ふぉと ぶろぐ ~
5位 ルネサンスのセレブたち
6位 パスクィーノ ~ ローマの落首板
7位 HONOBUONO diary
8位 イタリア至上主義


あなたのブログ・Facebookページをもっと多くの人に読んでもらいませんか?ローマでのブログ・Facebookページをお持ちの方は是非ご登録下さい。

ブログ・Facebookページ登録